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イーグルスのグレン・フライの逝去にドン・フェルダー(Don Felder)と元マネージャーが声明を発表。

イーグルスのグレン・フライの死を受けて、共にメンバーだったドン・フェルダー(Don Felder)が追悼の声明を発表している。

   

グレン・フライは現地時間1月18日にニューヨークで亡くなっている。享年67歳だった。

 

イーグルスはグレン・フライの逝去について次のようなコメントを発表している。「グレン・フライはこの数週間というもの勇敢に闘ってきましたが、悲しいことに関節リウマチ、急性潰瘍性結腸炎及び肺炎からの合併症に屈することとなりました」。「この悲しみや、グレン・フライが我々や、彼の家族、音楽関係者、そして世界中のたくさんのファンに与えてくれたものへの愛とリスペクトは言葉では表すことができません」

 

ドン・フェルダーによる声明の全文は以下の通り。

「グレンの死が信じられず、ショックの状態にあります。まったく予期していなかったことで、悲しみに満ちた心境にわたしを取り残すことになりました。彼は若く、素晴らしい才能にいまだ溢れていました。とてつもなく才能に溢れたソングライターであり、アレンジャーであり、リーダーであり、シンガーであり、ギタリストでした。皆そう思ってるでしょうし、彼はそれに応えることができ、即座に“マジック”を生み出すことができる人だったのです。彼の楽曲や歌詞へのヴィジョンと洞察は伝説的なものとなっていて、この先何十年もの間、絶えず認められることになるでしょう」

 

「1974年にイーグルスに加入するように誘ってくれたのがグレンでした。彼のすぐそばで長い間、一緒に仕事をして過ごすことができたのは人生の贈り物です。グレンは愉快で、強く、寛容で、優しい人でした。兄弟のように感じていましたし、兄弟のようだからこそ食い違うこともありました。でも、そうした難しい時でも、なんとか僕らはマジカルな楽曲を作ることができましたし、素晴らしい思い出や素晴らしいレコーディングやライヴを生み出すことができたのです。彼のステージでのカリスマ性は世界中のたくさんの人に知られ、愛されてきました。笑いと歌とパーティとハグと兄弟のような絆に満ちた旅を、僕らはかなりの距離やってきたのです」

 

「グレンはバンドのジェームス・ディーンでした。方向性を探している時のリーダーでしたし、バンドで最もクールな男だったのです。僕らの間の問題に一緒に取り組んだり、話したりすることができないと思うと大変悲しくなります。悲しいことに、もうその機会はないのですね。この星は偉大な人を、偉大なミュージシャンを失いました。誰も彼の代わりなんて務められないでしょう。安らかに、グレン。そして、君と遺族に神のご加護がありますように」

 

グレン・フライは、ドン・ヘンリー、バーニー・リードン、ランディ・マイズナーらと共に1971年にロサンゼルスにおいてイーグルスを結成し、1970年代に最も成功したバンドとして名を馳せるまでになったが、その後1980年から1994年まで約15年間にわたり事実上の休止状態の期間を迎えている。活動を再開してからは断続的にツアーを行ってきた。

 

グレン・フライの体調面の問題から、イーグルスとしての活動は先送りされており、回復にはまとまった期間が必要だと考えられていた。

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またイーグルスのマネージャーでライブ・ネイションの元会長、アーヴィン・エイゾフ(Irving Azoff)氏は、グレン・フライが亡くなったのは、長年服用していた薬に一因があると考えているそうだ。

 

バンドは、グレンはリウマチ性関節炎、急性潰瘍性大腸炎、肺炎による合併症のため亡くなったと発表していた。エイゾフ氏は、薬の名は明かさなかったものの、「大腸炎と肺炎は、薬剤の副作用だった」「彼は、15年以上リウマチ性関節炎の薬を服用していて、その結果、潰瘍と大腸炎の合併症で亡くなった」と、『THE WRAP』に話した。

 

エイゾフ氏は、偉大な友人を失ったことに大変ショックを受けており、「グレン・フライが40年以上に渡り、僕を学ばせ、導き、支援してくれなかったら、僕はこれほど成功していなかっただろう。彼は熱心なファミリー・マンで、良き父で、素晴らしい人だった。逝くのは早すぎる」と、その死を偲んだ。

 

また、グレンの長年の友人ボブ・シーガー(Bob Seger)によると、グレンは11月から入院し、昏睡状態にあったという。シーガーは、「みんな、彼に生き続けてもらおうと全力を尽くしていた。11月から入院していたんだ。アーヴィンが最高の医師を探し当て、グレンには8人の専門家がついた。でも、1ヶ月くらい前、手の施しようがなくなったんだ」と、『Detroit Free Press』に話したという。

 

グレン・フライは1月18日、永眠。まだ67歳だった。

 

ドン・フェルダー自伝 天国と地獄 イーグルスという人生 単行本

 

 

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