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イーグルス(Eagles)のグレン・フライ(Glenn Frey)、逝く

「テイク・イット・イージー(Take It Easy)」や「ホテル・カリフォルニア(Hotel California)」等のヒット曲で知られるアメリカのロック・バンド、イーグルスの創設メンバーとして知られ、ギタリストのグレン・フライが1月18日(月)にNY市内で死去したと公式ウェブサイトで発表された。67歳だった。

   

海外メディアによると死因は合併症によるもので、何ヶ月も腸の病気で闘病しており、昨年11月には手術を受けていたとのことだ。

(米情報サイトTMZによると、死因は慢性関節リウマチ急性潰瘍性大腸炎肺炎などの合併症の組み合わせだったとされている。)


昨年、イーグルスとしての受賞が発表されていたケネディ・センター名誉賞のセレモニーも健康上の理由で出席を翌年に見送っており、その容態が心配されていた。

 

イーグルスの声明文には、家族からのコメントが掲載されており、回復を願っていた世界中のファンへの感謝の意を伝えている。

 

グレン・フライはアメリカはデトロイト出身。
地元で音楽活動をしていたところを同郷のミュージシャン、ボブ・シーガーに見いだされバンドを組んでいたが、当時付き合っていた彼女を追ってロスへ拠点を移す。

 

J.D.サウザーやジャクソン・ブラウン(Jackson Browne)と共同生活しながらブレイクのチャンスを待っていた時にドン・ヘンリーと出会う。

 

ドン・ヘンリー(Don Henley)とリンダ・ロンシュタット(Linda Ronstadt)のバック・バンドを共に務めたことをきっかけに、イーグルスを1971年に結成。


翌年、グレン・フライがリード・ヴォーカルを取ったデビュー曲「テイク・イット・イージー」がヒットし一躍人気バンドの仲間入りを果たす。

 

グループではドン・ヘンリーと共にヴォーカル/ソングライターとしても活躍し、
「テキーラ・サンライズ」「過ぎた事」「いつわりの瞳」「ニュー・キッド・イン・タウン」「ハートエイク・トゥナイト」でヴォーカルをとっており、ドンとは違う甘い歌声を披露していた。


また、1976年に発表した5枚目のアルバム『ホテル・カリフォルニア』はグラミー賞最優秀レコード賞を受賞し、タイトル曲はグループを代表する楽曲として日本でも知名度が高い。

 

1980年にグループ解散後、ソロ・アーティストとして活動。 ソロ時代の作品は、モータウンが栄華を極めていたデトロイト出身ということもあり、自身のルーツであるソウルやブラックミュージックを取り入れた作風で人気を獲得。

 

1985年に公開された映画『ビバリーヒルズ・コップ』の主題歌でもある「ザ・ヒート・イズ・オン」は、全米2位に入るヒットを飛ばし、成功を収めている。同じく楽曲を提供した映画『マイアミ・バイス』には俳優としても出演している。

 

1994年にイーグルスは再結成し、1998年にはロックの殿堂入りも果たしている。

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突然のの訃報に、ジャンルを問わず多くのミュージシャンから追悼の言葉が寄せられている。

 

ブライアン・ウィルソン(Brian Wilson)「グレン・フライが亡くなったと聞き、ショックだ…本当に打撃を受けた。今夜、グレンの家族にLove & Mercyを」

 

リンゴ・スター(Ringo Starr)「グレン・フライに神のご加護を。彼の家族にピース&ラブを」

 

J.D.サウザー(J.D.Souther)「グレン・フライは僕の初めてのソングライティング・パートナーで親友だった」

「初めて一緒に過ごした年、いつだってまるで昨日のことのようだ。彼の壮大なジョーク、素晴らしいグルーヴは、いまこの喪失感と悲しみに包まれているときでさえ、僕の中で生き続けている。これから毎日、寂しい思いをするだろう。でも…、彼はいつだってここにいる。そうだよね? いま、これ以上のことは言えない。音楽と愛は不滅だ」

 

ドゥービー・ブラザーズ (The Doobie Brothers) 「グレン・フライの死は、ロックの世界にもう1つの大きな空洞を残した」

 

スティーヴ・マーティン「ショックだ。昔からの僕の友人、イーグルスの主要メンバーが亡くなった。僕らは君を愛していた。グレン・フライ」

ポール・スタンレー(キッス)(Paul Stanley KISS)「グレン・フライが亡くなったと聞き、ショックだ。イーグルであり、素晴らしいソングライターだった。RRHOF(ロックの殿堂入り)で、いい思い出を共有した。ショックだ‥」

 

ブライアン・メイ(Brian Harold May CBE)「僕らの昔の仲間、モット・ザ・フープルのバフィンが亡くなった。そして、イーグルスのグレン・フライ? なんてことだ。The sound of our own wheels…」

 

デイヴィッド・カヴァデール(David Coverdale)「グレン・フライの家族、友人、ファンにお悔やみ申し上げます。才能にあふれた人だった&悲しい喪失だ」

 

ニッキー・シックス「R.I.P. グレン・フライ…素晴らしい音楽、パワフルな歌詞をありがとう…。死神よ、しばらく休んでいてくれないか…」

 

コリィ・テイラー「今年は俺をムカつかせる。#RIPGlennFrey」

 

マイク・ポートノイ「OMG!! もう十分だ!!! #RIPGlennFrey」

 

ナイル・ホーラン(Niall James Horan)(ワン・ダイレクション One Direction 1D)「"These cloudy days, make you wanna cry. It breaks your heart when someone leaves and you don't know why " グレン・フライ」

 

ライアン・アダムス「RIP グレン・フライ。星への旅、気をつけて、ブラザー」

 

ドン・ヘンリーによる声明の全文は以下の通り。

彼は僕にとって兄弟やほとんど家族のような存在でした。そして家族にはよくあるように、うまく行かないこともありました。しかし、45年にわたり築いてきた絆が切れることはなく、イーグルスが姿を消していた14年の間でさえも存在していたのです。我々2人は、同じ夢を持ってロサンゼルスにやって来ました。音楽業界に爪跡を残すために。そして忍耐と音楽への愛、また他の素晴らしいミュージシャンやマネージャーのアーヴィング・エイゾフと組んだことにより、我々は誰もが夢にも思わなかった程、息の長い活動を続けてこられたのです。しかし、すべてはグレン・フライから始まりました。彼が点火プラグであり、彼にはアイディアがありました。グレン・フライにはポップ・ミュージックに対して百科事典のような知識を持っており、常に勤勉さを失いませんでした。彼は面白く、頑固で、頭の回転が速く、寛大で、才能に溢れた信念の人でした。彼は奥さんと子供たちを何よりも愛していました。今、我々はみな、驚きと、信じられない気持ちと、心の底からの悲しみの中にいます。我々は7月末に、2年に及ぶ『ヒストリー・オブ・ザ・イーグルス』ツアーを華々しく終わらせたばかりなのに、彼はもういません。運命をいうものを信じていると断言はできませんが、1970年にグレン・フライとの出会いは、自分の人生を決定的に変え、そして地球上の大勢の人々の人生に影響を与えることにつながりました。彼のいない世界で生きていくのはとても変な感じがすると思います。でも私はこれから毎日、自分の人生において彼という存在があったことに、感謝の気持ちを持ち続けるでしょう。安らかに眠ってください、兄弟。君は目指していたことを叶え、さらにもっと多くのことを成し遂げたね。」

 

Eagles - New Kid In Town - Live in Washington D.C. 1977

ソロ・コレクション グレン・フライ