ブライアン・ウィルソン(Braian Wilson)、エルトン・ジョン(Elton John)、デイヴ・デイヴィス(Dave Davies)らがジョージ・マーティン(George Martin)を追悼
ブライアン・ウィルソン、エルトン・ジョン、デイヴ・デイヴィス(キンクス)、アビイ・ロード・スタジオ等が、火曜日(3月8日)に亡くなった音楽界の至宝、ジョージ・マーティンを追悼した。
ブライアン・ウィルソンはこうつぶやいた。
「ジョージ・マーティンがザ・ビートルズと作ったレコードの数々は最高傑作であり、僕が成長する上でインスピレーションとなった。Love & Mercy」
The records that George Martin made with the Beatles were some of the greatest ever made & they inspired me to greater heights. Love & Mercy
— Brian Wilson (@BrianWilsonLive) 2016, 3月 9
また、エルトン・ジョンはこう偲んだ。
「サー・ジョージのことを知り、とても悲しい。素晴らしい時代の終焉だ。僕は友人として彼を知り、アーティストとして彼と仕事をするという恩恵を受けた。彼は愉快で、才気にあふれた人だった。彼のような人にはもう会えないだろう」
デヴィッド・ボウイのプロデューサーだったトニー・ヴィスコンティは「ジョージ・マーティンに敬意を表し、今日、僕は仕事にネクタイを着用していく」と、ザ・スミスやブラーの作品で知られるプロデューサー、スティーヴン・ストリートは「あなたという先導者がいなかったら、我々はどこに向かっていたんだろうと考えると恐ろしい。真のパイオニア」と追悼。
リック・ルービンは、「ジョージは山頂の頂点だった。彼は、タイムレスな音楽を作ろうと奮闘する我々のインスピレーションであり続ける」と、『Rolling Stone』誌に話したという。
ジョージ・マーティンの息子でプロデューサーのジャイルズ・マーティンは、「RIP お父さん。愛している。あなたの息子だったことをとても誇りに思っている。言葉で表すことはできないほど、寂しく思う。一緒に過ごした時間全てに感謝しています」
「父として始まり、親友として終わった。Love Is All You Need」とツィートしている。
キンクスのデイヴ・デイヴィスは 「彼はビートルズに彼らのサウンドを与えた。たぶん、私たちの世代ではもっとも重要なエンジニア、プロデューサーの一人。彼の影響力は世代を超えた。ポピュラー・ミュージック界に贈られた創造物。私たちはもう2度と彼のような人にはお目にかかれないだろう。ジョージ・マーティンに神のご加護を!」をとのコメントを発表した。
RIP Sir George Martin https://t.co/zvtCqHXoLY
— Dave Davies (@davedavieskinks) 2016, 3月 9
また、アビイ・ロード・スタジオは、「アビイ・ロード・スタジオは、サー・ジョージ・マーティンが昨日90歳で亡くなったという悲しい知らせを聞き、ジョージ・マーティンの遺族に最も深い哀悼の意を表明したいと思います。サー・ジョージは、そのクリエイティヴな閃きと、革新、情熱によって音楽レコーディングを変えました。そして、あのような非常に才能に溢れ、魅力的で、優しい人を失ってしまったことについて我々は深い悲しみを表明したいと思います。我々は、サー・ジョージの才能溢れる遺産がアビイ・ロード・スタジオで永遠に生き続けるよう懸命に守っていきます。そして、我々は彼の物語に参加できたことを非常に光栄に思っています。
サー・ジョージ・マーティン(1926年1月3日 – 2016年3月8日)」
エア・スタジオは、「サー・ジョージ。私たち全員とてもとても愛しています。 驚くべき人物。 溢れるほどのインスピレーション。私たちはあなたがいなくて寂しいです。 私たちの考えはご家族とともにあります。」とツイートした。
Sir George. So very much loved by all of us. An amazing man. An inspiration to so many. We will miss you. Our thoughts are with your family.
— AIR Studios (@AIRStudios) 2016, 3月 9
ジョージ・マーティンと彼の息子であるジャイルズの代理人を務めるアダム・シャープは次のようにコメントを発表している。「3月8日火曜日の夜に、サー・ジョージ・マーティンは自宅で安らかに息を引き取ったことをご報告いたします。ご家族は、皆様から贈られるお悔やみの言葉に感謝していらっしゃいます」
「70年間に渡るキャリアで、彼は、音楽における最高の創造的才能がある人物の一人であり、最期まで紳士だったと世界中に認められてきました。喪に服している間、ご家族はプライバシーを尊重してくださるようお願いしていらっしゃいます」
ジョージ・マーティンの代理人を務めるCAマネージメントも次のように声明を発表している。
「サー・ジョージ・マーティンは1950年にEMIのパーロフォン・レーベルでレコードのプロデュースを始めました。彼は、ピーター・セラーズ、スパイク・ミリガンやビヨンド・ザ・ブリンジなどのコメディ・レコーディングで注目を集め、1961年にはテンペラス・セブンの楽曲で初めての1位を獲得しました。1962年にザ・ビートルズとの契約にサインをし、メンバーと一緒にポピュラー・ミュージックのレコーディングに革命を起こす一助を担っていました」
こちらはマーティンとブライアン・ウィルソンがドライブする映像
そして、こちらは1988にディラン・トーマスの詩に、エルトン・ジョンとジョージ・マーティンが音楽を付けた作品で、ボニー・タイラーの歌唱による「I Loved a Man」
Under Milk Wood A Play for voices by Dylan Thomas